プログラムノート

シューベルト・チクルスⅧ

2007年9月30日
浜離宮朝日ホール

歌曲集『白鳥の歌』の成立

 1828年、シューベルトは久しぶりにまとまった数の歌曲を作曲する。レルシュタープの詩による7つの歌曲と、ハイネの詩による6つの歌曲である。
 レルシュタープはベートーヴェンに一連の自作の詩を渡して作曲を依頼したが、実現することないままベートーヴェンはこの世を去ってしまった。その後、それらの詩がどのような経緯でシューベルトの手に渡ったのか定かではないが、いずれにせよ彼の詩はシューベルトの魔法にかかって歌曲に変身することとなった。
 ハイネの詩をシューベルトが知ったのは、1828年1月の読書会においてであった。ここで、彼は1827年10月に出版された詩集『歌の本』を知ったと伝えられる。批判精神旺盛でありながら軽妙さと優雅さを失わないこのロマン派の申し子であるハイネの詩に、シューベルトがどのような印象を受けたか興味のあるところであるが、残念ながら伝えられていない。ナポレオンを賞賛した革命的精神の持ち主、ハイネの作品はメッテルニヒに弾圧されたこともあった。従って、当時ウィーンでは、ハイネに“誤った傾向”があると思われていたようであるが、シューベルトはそれには無頓着であったという。
 当初、シューベルトはレルシュタープとハイネの詩による連作歌曲集を考えていたらしい。しかし、生活に困窮する彼は、1828年10月、出版社にハイネの詩のみによる歌曲集出版を提案。にもかかわらず、シューベルトが生前に出版社から芳しい返事を受け取ることはなかった。10月31日、レストランで友人と食事をした際嘔吐した彼は、快復することなく11月11日より病床に臥する。そして、11月19日午後3時、帰らぬ人となってしまった。
 その半年後、1829年5月、ウィーンの楽譜出版者ハスリンガーは『白鳥の歌』と題した歌曲集を出版した。この中には、上記の13曲と、同年10月に作曲されたザイドルの詩による歌曲が1曲含まれている。この組み合わせや題名はシューベルトの手によるものではなく、彼の死後、シューベルトの兄、フェルディナントとハスリンガーの話し合いの上、決められたものである。ゆえに、この曲集は『美しい水車小屋の娘』や『冬の旅』のような連作歌曲集ではない。絶筆となった歌曲であるため、死の直前の鳴き声が最も美しいといわれる『白鳥』をそのタイトルに使ったのであろう。

歌曲集『白鳥の歌』

 ここに収められている歌曲 14曲は以下のとおりである。
 1)愛の使い 2)戦士の予感 3)春の憧れ 4)セレナーデ 5)すみか 6)遠い国で 7)別れ(以上、レルシュタープの詩)8)アトラス 9)彼女の絵姿 10)漁師の娘 11)都会 12)海辺で 13)影法師(以上、ハイネの詩)14)鳩の使い(ザイドルの詩)
 この14曲の中から、今回のコンサートでは10曲を取り上げる。曲順はハイネの詩による5曲が最初で、次にレルシュタープの詩による5曲が続く。尚、シューベルトが取り上げた6つのハイネの詩はすべて、『歌の本』の中の『帰郷』に収められているものである。

漁師の娘 ― ハイネ作詞

 民謡調のハイネの詩に、シューベルトはバルカローレのリズムを施した。若者の口説きに簡単に誘惑されない娘の姿が目に浮かぶ、軽妙な作品である。

海辺で ― ハイネ作詞

 心に沁みる素朴なメロディーが美しい。しかし、それに先立つ2小節の前奏が、喜ばしい状況でないことを既に示唆している。突然辺り一面霧が立ちこめ、不穏になると、心の不安も一気に高揚する。その後、冒頭のメロディーが再度戻ってくるが、今度は悲しみの影が支配している。最後は恋を失って苦しむ若者の姿があるのみ。

都会 ― ハイネ作詞

 この作品はすでに印象主義の音楽を先取りしている。シューベルトは歌詞からのインスピレーションによって新たな境地を開拓したのであろう。
 巨大な怪物のように浮かび上がる都市。まるで人間を脅かす、「世間」という、実体のない、しかし権力を振り回す世界を象徴しているかのようだ。

彼女の絵姿 ― ハイネ作詞

 ここまで簡潔な音で、これだけの苦しみが表せるとは! 単純な音型から発せられる心の吐露は、何にもまして痛々しい。

アトラス ― ハイネ作詞

 アトラスは肩で天体を支えている巨神。シューベルトがこの詩を選んだことは大変興味深い。あえて、不幸を選んだ誇り高きアトラスに共鳴するところがあったのであろうか… 歌曲の領域を凌駕する規模の大きい作品である。

愛のたより ― レルシュタープ作詞

 遠くにいる彼女に愛のたよりを送ってくれるよう小川に頼む若者。内容といい、伴奏の音型といい『美しい水車小屋の娘』を彷彿させるものがある。歌と伴奏の対話が美しい。

セレナーデ ― レルシュタープ作詞

 シューベルトの歌曲の中で、最も有名な作品の一つ。弦を爪弾くように奏でられる伴奏にのって、憂いに満ちた愛の歌が夜のしじまに響き渡る。

遠い国で ― レルシュタープ作詞

 人間にとって「孤独」とは実に恐ろしいものである。それが高じて疎外感に襲われるようになるならば、袋小路に入るばかりであろう。この主人公は既に自己疎外に陥っている。おどろおどろしい詩に付けられたこの曲は、モノトーンで進む中に、異常な緊張感を孕んでいる。主人公がいよいよかつての恋人に向かって痛恨の極みを訴える第3節で、シューベルトは伴奏に使っていた固まりきった和音をアルペジョ(分散和音)に置き換える。そして、pp (最弱音) からff (最強音) まで恐ろしいばかりに高まっていく。『冬の旅』の延長線上にある作品といえよう。

すみか ― レルシュタープ作詞

 この題名はいろいろに訳されるが、直訳するならば、「滞在して いるところ」「居るところ」という意味になる。「どよめく河の流れ、ざわめく森、ごつい岩が僕の住処」と歌っているが、これは心の居場所を象徴しているのであろう。生涯自分についてまわる苦悩。それは主人公をそっとしていてくれることはない。伴奏で奏でられる同音連打がその様子を強調する。

別れ ― レルシュタープ作詞

 あえて笑顔で別れの挨拶を送る主人公。楽しかった町に、樹木や庭園に、優しい少女たちに、太陽に、灯のともる小窓に別れを告げ、馬の蹄の音と共に去っていく。最後、星に別れを告げるとき、初めて苦しい胸の内を告白する。どれだけの星が輝いても、家族と団欒する灯りのこぼれる小窓の代わりにはならないと嘆く。そんな想いを軽妙なタッチで、淡々と動きながら、悲しみを訴えるシューベルト。絶妙な作品である。

シューベルトのリート(歌曲)

 シューベルトはわずか31年の生涯に600曲以上ものリートを残した。このおびただしい数は想像を絶するが、彼は詩から霊感を受けるとじっとしてはいられなかったのであろう。
 シューベルトは詩に託された内容を音楽で表現する、“音による詩人”であった。彼は詩の言葉を、自然にメロディーにする才能を持ち合わせたが、出来上がった歌曲は、単に歌詞に曲をつけたものとは遥かにかけ離れたものであった。詩からインスピレーションを受けた彼は、さらに新たな世界を創造したのである。それは前例を見ない独自の音楽語法で行われた。そして、その語法はわずか31年という短い生涯にさらに発展していき、時代を先取りするまでになる。
 今回のコンサートでは、1815年から1826年の間に作曲された作品から、10曲を取り上げる。

ます ― シューバルト作詞 1817年作曲

 澄んだ水と戯れながら、元気よく泳ぎ回る噂。そこへ漁師がやっ てきて、小川をかきまわし濁らせたかと思うと、鱒を釣り上げてしまう。
 もともとこの詩には、最後に“だから、お嬢さんたち、この噂を思い出して、危ないと思ったら逃げるように”という内容の一節がついていた。シューベルトはこの教訓めいた部分を切り捨てて、自然の描写と釣り上げられた噂への思いに徹した。
 尚、これには多数の手稿があり、完成したのは1821年のこと。

漁師気質 ― シュレヒタ作詞 1826年作曲

 嬉々として仕事に勤しむ漁師を描いた、屈託のない明るい作品。ここで釣り糸を垂れるのは羊飼いの娘。漁師は“そんな釣り糸に魚はだまされないよ”と笑っている。
 一度聴いたら、いつも口ずさみたくなるようなメロディーに、健康で澄んだ心を持つ漁師の姿を彷彿させる伴奏型。この愉快な曲は、作曲された年に即出版された。

月に寄す ― ヘルティ作詞 1815年作曲

 ベートーヴェンのソナタ「月光」の第1楽章を思い起こさせる前奏で始まり、哀愁に満ちている。中間部では長調に転調し、テンポが速まるが、これは月が照らし出す、非現実の世界。過ぎ去った甘い日々に酔う主人公。ここの明るさは、まるで「マッチ売りの少女」がマッチを擦ったときに見る夢の世界のようである。

海の静けさ ― ゲーテ作詞 1815年作曲

 ここに表された静けさは、安らかな静寂とは程遠い。息を呑んで海を見つめる漁師。言い知れぬ緊張感の中に静止した大海原が横たわっている。シューベルトは伴奏に重音とそのアルペジョ、及び二分音符の動きだけを使い、わずか8行の詩で表された雄大なパノラマを音で表現するのに成功した。生涯、海を見たことのなかったシューベルトであるが、ここに詠われている恐ろしいばかりの海の静けさは例えようがない。
 尚、この曲には2つの手稿が残っているが、今回演奏するのは第1稿の作品。今回、第1稿を選んだのは、次の歌曲「小人」への繋がりのためである。

小人 ― コリン作詞 1822~1823年?作曲

 これはバラード風歌曲。王妃と小人が連れ立って船出する。彼女はこれが人生の最後だということを知っている。小人は、「あなたの死は王のために僕を見捨てたあなた自身の責任だ」と嘆く。小人の手で死んでいく王妃。そして小人も二度と陸に上がることはなかった。
 交響曲「未完成」の第1楽章を彷彿させる伴奏で始まるこの悲劇は、途中、ベートーヴェンの交響曲「運命」のモティーフまで現れて、劇的に展開される。多種多様な和声と、心に訴えるメロディーが重なり合って、聴く者を感動の渦に巻き込む。

さすらい人 ― シュミット作詞 1816年作曲

 趣味で詩を作っていた医者シュミットによるテキスト。彼は初めこの詩を「不幸な男」と題していたが、「異国の男」に変更。それを機にシューベルトは第二稿でこの歌曲を「さすらい人」と名づけた。自分自身“さすらい人”の身にあったシューベルトは、当然これを題材にした詩に一方ならぬ興味を持っていたことであろう。彼は1822年このテーマを使って、ピアノのための幻想曲 「さすらい人」を作曲している。

君こそは憩い ― リュッケルト作詞 1823年作曲

 安らぎに満ちた清らかな作品。
 「君」にすべてを託し、「君」にすべてを捧げ、「君」に満たされることを願う主人公。その「君」とは一体誰なのか。恋人、ミューズの神、それとも死…
 歌に寄り添い、歌を温かく支える伴奏の左手の動きがいたいけない。

夜と夢 ― コリン作詞 1823年以前に作曲

 “聖なる夜が降りてくると、夢も安らかな胸にそっと降りてくる…”
 ここには「海の静けさ」とは性格を異にする、穏やかな静寂が横たわっている。それは、我々に心の安堵感をもたらす静けさで ある。

水面に歌う ― シュトルベルク作詞 1823年作曲

 美しくも哀しい作品。夕陽に照らされてきらめく川の上を流れていく小舟。その描写は実に美しい。しかし、やがて、この川の流れは人生の流れと重なる。川の上をなめらかに滑っていく小舟のように、昨日、今日、明日と過ぎ去っていく日々。それは天に召されるまで続く…
 シューベルトは水にちなんだ歌曲を数多く作曲したが、ここで彼は独特の音型を使った。終始繰り返される16分音符の動きが、世の無常さを思わせる。この動きは歌の旋律にも使われて、ピアノと共に3度音程を成して下行する。そのハーモニーは瞬時、色彩が七変化する夕陽の輝きのようである。

魔王 ― ゲーテ作詞 1815年10月作曲

 この詩はもともとゲーテのジングシュピール「漁夫の娘」の中で、静かな夜、漁夫の娘が仕事をしながら口ずさむ伝説の歌として登場するもの。時代を先取りしたシューベルトの鋭い感性は、この民話を悲劇性の強いドラマティックな音楽で再創造することに成功した。
 これは18歳の青年が作曲したとは思えない大傑作であるが、当時このような伴奏型による劇的な歌曲は皆を驚かせるに十分であったであろうし、また物議を醸したことも想像に難くない。
 友人シュパウンがゲーテにシューベルトのゲーテの詩による歌曲集を送ったとき、ゲーテから何の返事もなかったことは有名な話である。だが、ゲーテが楽譜を受け取るだけなく、演奏を聴くチャンスに恵まれていたならばきっと違った反応を示したであろうと、私は密かに思っている。もしあの時、文豪ゲーテが絶賛していたら、シューベルトの人生はきっと変わっていたことであろう。しかし、運命は、ゲーテの目に留まらないことを選んだ。たぶんこの険しい道程が、シューベルトの音楽を育てる確かな道だったのであろう。
 17歳で「糸を紡ぐグレートヒェン」を書き、18歳で「魔王」を生み出したこの天才は、生前、その才能を一部の人の間で騒がれるだけであった。しかし、どんな困難も彼の想像力の邪魔をすることはなかった。
 彼は「水面に歌う」のように、天の翼に乗ってこの世を去るまで、来る日も来る日も喜んで作曲の小舟を漕いでいたのである…