コンサート・レビュー
音楽の友 - 2021年5月号
ピアノ・リサイタル 第4回「統一」

 ベートーヴェンのソナタ「第31番」。歌唱で苦悩し、フーガで救済されるという、このソナタの構成のプロセスを、原田は巧みに奏した。・・・ラフマニノフのソナタは、原田の深い解析と詩情によって作品の真意が表現された。 
音楽の友 - 2021年5月号
ピアノ・リサイタル 第4回「統一」

原田が2017年から開始した、「人間ドラマと音楽」を描くシリーズの第4回。今や原田のロシアン・ピアニズムは国際的にも高く評価されており、各回のテーマなど実に興味深い。ロシアの音楽家の音楽言語は、同時にさまざまな生の形だと捉える原田は今回、「統一」をテーマに。前半のベートーヴェンは、後期の二つのピアノ・ソナタ。区分として後期にあたる「第28番」は、原田論では中期と後期の間に位置する停滞期。いよいよ神の領域に入っていく、その前段階こそ重要だと考える原田は、楽聖の筆跡をひたすら真摯に弾き進める。スランプや私生活でのトラブルなど微塵も感じられない穏やかな楽想のなかから、ここに至るまでの“ベートーヴェンが築いてきたソナタ形式”が整理されていることも聴かせる。そして「第31番」。スランプを抜けて、すでに悟りの楽想と思いきや、意外な展開部分に“人間ベートーヴェン”が現れる。歌唱で苦悩し、フーガで救済されるという、このソナタの構成のプロセスを、原田は巧みに奏した。

後半は原田の血ともいえるロシア作品。チャイコフスキーでは、作曲当時のロシアの気候風土すら感じさせる機微のある表現のみならず、その作曲技法には西欧の文化や音楽理論が内在していることも行間で聴かせる。ラフマニノフは、原田の師であるメルジャーノフ教授のイズムが血肉として在り、体と楽器が一体化したスケール感。エキセントリックに次々登場するモティーフにラフマニノフの潜在意識があり、和声にはロシア正教の響きがあり、縦横に構築された巨大なソナタなれど、原田の深い解析と詩情によって作品の真意が表現された。このソナタが作曲された100年前は、ベートーヴェン後期のソナタの頃だ。何とも感慨深い。

(2021年3月12日ハクジュホール)【上田弘子】

音楽の友 - 2011年12月号
2011年 ピアノ・リサイタル
 恐ろしいピアニストである。自然界や精神世界をこれほどまでに音現化できるピアニストは、世界を見渡しても稀。・・・<イゾルデの愛の死>など、愛の深さ。探求の極みの技巧と鬼気迫るほどの音楽道。 
音楽の友 - 2011年12月号
2011年 ピアノ・リサイタル

恐ろしいピアニストである。自然界や精神世界をこれほどまでに音現化できるピアニストは、世界を見渡しても稀。目下ドイツを中心にヨーロッパで大活躍の原田。耳の肥えた欧州人を唸らせるのも納得である。最初にグリーグ「抒情小曲集」より6曲。<子守り歌><春に寄す>では粉雪や暖かい陽射しを皮膚感で聴く。<消え失せた日々>の中にはロシアの名優オレグ・メンシコフの神秘と狂気が潜んだ妖しい表情が見える。チャイコフスキーでは<瞑想><ドゥムカ>、そしてプレトニョフ版「アンダンテ・マエストーソ」と、知らず知らずロシアの風土に引き込まれていた。技術や解釈の域を超えた、いわば原田はピアノを手段として音楽と同化、いや憑依すら感じたのがさらに後半。3曲弾かれたリスト。特に<ペトラルカのソネット第104番><オーベルマンの谷>の慈愛と敬虔。ワーグナー=リスト<夕星の歌>ではヴィスコンティ映画の美とスケールを彷彿させる青白い暗さで詠い、<イゾルデの愛の死>など、名ソプラノ、ベーレンスも脱帽であろう抉るような愛の深さ。探求の極みの技巧と鬼気迫るほどの音楽道。

(2011年10月28日浜離宮朝日ホール)【上田弘子】

音楽の友 - 2010年11月号
シューベルト・ツィクルス 第10回
 原田はアンサンブルだと、ソロとはまた異なるアプローチを見せる。個性的なフレージングやアゴーギク、ディナーミクなどはやや影を潜め、精緻なアンサンブルとしての情感の創出に心を砕く。 
音楽の友 - 2010年11月号
シューベルト・ツィクルス 第10回

原田英代によるシューベルト・ツィクルスの10回目、最終回である。03年から足かけ8年、ピアノ独奏曲からローマン・トレーケル(Br.)との歌曲、ボロディン弦楽四重奏団その他との室内楽を含めた偉業は、近年ソリストとして俄かに頭角を現してきたミハイル・シモニアンと、ルツェルン祝祭管のソロ・チェリストも務めるイェンス=ペーター・マインツと演奏会で集大成を迎えた。今回のプログラムは「ヴァイオリン・ソナタ」D574、「アルペッジョーネ・ソナタ」、そして「ピアノ三重奏曲第2番」という、青年期から晩年に至るシューベルトの円熟をも俯瞰した見事な構成である。原田はアンサンブルだと、ソロとはまた異なるアプローチを見せる。個性的なフレージングやアゴーギク、ディナーミクなどはやや影を潜め、精緻なアンサンブルとしての情感の創出に心を砕く。またシューベルト独特の和声感を重視し、ヴァイオリンやチェロを十二分に歌わせた上で緊密な造形で纏め上げる。響きの色彩感、リズム感、タイミング、デリケートなニュアンスなど、どれをとっても絶妙で、今ここで楽曲が生まれたような新鮮ささえ創出される魅力に溢れていた。

(2010年9月17日浜離宮朝日ホール)【真嶋雄大】

ショパン 2005年3月号
スケールの大きな演奏
 彼女ほど自身の共感と作品像が表裏一体の奔放となるピアニストがいるだろうか。魂そのものが語っているような演奏だった。 
ショパン 2005年3月号
スケールの大きな演奏

原田英代について語るとき、単に腕達者な実力派という言葉では事足りるものではない。元々、デビュー当時のショパン以来、作品への深い共感が、生々しい熱気となってほとばしり出てくるタイプだが、中堅として研鑽を深める現在、その深い共鳴は、作曲家が希求し得ようとしたコスモスへの扉を開いてくれるアーティストへと、さらに歩を深めていると思う。

とにかくまず今回のベートーヴェン「テンペスト」から、いかに明確な作品像のもと、明快だったことか。霧がかった美音でのラルゴと激情的部分がドラマチックに交差する第1楽章。しかしかなり異質な2つの部分がかわるがわる、常に聞き手に語りかけてくる魅力を放ち、緊張感を持続しながら到達した最後のラルゴ。それはとりわけ残響豊かな響きと静謐な時空間を形成し、そしてその後に続いた深々として威厳あるスタカートでの4和音。長いスパンのなかで推積されてきた様々な事象が、一挙に高い地平へと昇華されたクライマックスだった。作曲家がなぜ同じラルゴの音形でダイナミックな最終地点に到達しなければならなかったのか。局地的な苦悩をまるで人類共通の苦悩として最終的に呈示しているかのような思いに至らせる。まさにスケールの大きな演奏を聴いた。作品110のソナタ、喜びの声が徐々に、沸々と沸きあがってきた第3楽章。

そして後半のシューマン「クライスレリアーナ」の夢のような音色での第2曲。そして第7曲、彼女ほど自身の共感と作品像が表裏一体の奔放となるピアニストがいるだろうか。魂そのものが語っているような演奏だった。他にシューマン「アラベスク」。

(2004年11月30日浜離宮朝日ホール)【小倉多美子】

ショパン 2004年7月号
シューベルト・チクルスVol.IV『ソナタ&幻想曲の夕べ』
 シューベルトの音楽は本来こんなに濃い表情を持つとは思っていなかったが、しかし、シューベルトの本音がぐいぐいと迫ってくる。 
ショパン 2004年7月号
シューベルト・チクルスVol.IV『ソナタ&幻想曲の夕べ』

シューベルト・チクルスVol.IVの今回は、『ソナタ&幻想曲の夕べ』で...シューベルトのピアノ曲を堪能させてくれた。
 原田のピアノはかなり濃厚な味つけに終始するもので、それはちょっとびっくりするほどの領域にわたるもの。...シューベルトの音楽は本来こんなに濃い表情を持つとは思っていなかったが、しかし、シューベルトの本音がぐいぐいと迫ってくる。...濃厚の中に知性を光らせる、充実のピアニストである。

(2004年5月24日東京文化会館小ホール)【諫山隆美】

ショパン 2004年5月号
シューベルトの世界を堪能 - ローマン・トレーケル バリトン・リサイタル
 適度に抑えたピアノより伝わるシューベルトの音楽は、まことに心地よく歌と融和し、見事な表情だ。 
ショパン 2004年5月号
シューベルトの世界を堪能 - ローマン・トレーケル バリトン・リサイタル

ローマン・トレーケルと原田英代によって演奏された『美しき水車小屋の娘』全20曲は、まことに高い次元のシューベルト音楽を表現した演奏だった。… シューベルトの音楽とミュラーの詩がまさに一体となってホールの隅々まで伝わってくる。それには今回原田英代のピアノの表現を特筆しなければならない。適度に抑えたピアノより伝わるシューベルトの音楽は、まことに心地よく歌と融和し、見事な表情だ。伴奏と言う言葉はこの組み合わせには適切ではなく、2人が全く同等の価値観をもってシューベルトの音楽を作り上げたことが、このよう感銘ある『美しき水車小屋』になった大きな要因であろう。ピアノを含めてすばらしいシューベルトの世界を堪能した一夜であった。

(2004年4月2日浜離宮朝日ホール)【家永勝】

ムジカノーヴァ 2004年1月号
2003年 ピアノ・リサイタル
 これほどまでに自己の感動を聴衆に伝えることに専念できるピアニストは日本では稀有な存在ですらある。 
ムジカノーヴァ 2004年1月号
2003年 ピアノ・リサイタル

圧倒的な集中力で曲に没入する原田は圧倒的な集中力で感動を前面に押し出すタイプである。臆面もなく、己の感性に忠実に曲にのめり込んでいく。その精力的で、徹底的な「没入」は感動を呼び起こす。これほどまでに自己の感動を聴衆に伝えることに専念できるピアニストは日本では稀有な存在ですらある。

(2003年11月28日東京文化会館小ホール)【山脇一宏】