プログラムノート

シューベルト・チクルスⅩ
室内楽の夕べ

2010年9月15日
アルピラート 音楽ホール
2010年9月17日
浜離宮朝日ホール

無理解と愛の狭間で ― ヴァイオリンとピアノのためのソナタ イ長調 D574

 1812年よりシューベルトはサリエリのもとで対位法の勉強を始める。サリエリはベートーヴェンの恩師でもあった人で、当時ウィーンで最も著名な宮廷音楽家であったが、モーツァルトを生涯の敵とし、サリエリによるモーツァルト毒殺説が生まれたことで後世に名を残してしまった。このイタリア人は、元来面倒見の良い人であったらしいが、シューベルトの才能にどこまで気付いていたか疑わしい。彼はドイツ語による歌曲なるものを認めようとせず、シューベルトにイタリア語のテキストによる歌曲の作曲を課題として強要した。おそらく、自分の弟子がこれだけの歌曲作曲の天才であることに気付くだけの、心の余裕を持ち合わせていなかったのであろう。しかし、幸いシューベルトには理解し応援してくれる友人たちがいた。彼らの温かい友情に支えられて、この若き芸術家は心おきなく天分を発揮していく。1814年には「糸を紡ぐグレートヒェン」が、1815年には「魔王」「野バラ」などのドイツ語のテキストによる天才的な歌曲が生まれる。この謙虚な19歳の天才青年がサリエリのもとを去る決意をしたのは、それから1年後のことであった。1816年9月8日、彼は日記に認めている。「人間は“偶然”と“情熱”とに戯れるボールに似ている。… 素質と教育が人間の精神と心を決定する。心は支配者であり、精神はそうあるべきものである。人間を、その人があるがままに受け入れよ、その人がどうあるべきかではなく…。」
 シューベルトは生涯に4曲のヴァイオリンとピアノのためのソナタを残しているが、それらはいずれも、師サリエリのもとを去る前後の1816~1817年に作曲されたものである。1816年作曲のD384, D385, D408と、今夜演奏する1817年作曲のD574を比べるならば、この1年の成長振りが窺える。
 さて、この時期は様々な意味でシューベルトにとって重要な転換期であった。上記の日記の続きを読むと彼の心の葛藤がみえてくる。
 「真の友人を見つける人は幸せだ。自分の女性友達の中に真の女性の友人を見つける人はさらに幸せだ … 男は嘆き訴えることなく不幸に堪える、しかし、そうすればするほど心の痛みは募るばかり。神様は何のために僕たちに共感する心をお与えになったのだろう… 」
 1813年神学校を後にした彼は、1814年兵役を逃れるために仕方なく助教員として父のもとへ赴任する。シューベルトが天才的な作品を書くほどに成長しているにもかかわらず、父親は息子の天命である作曲への没頭を許しはしない。さらに時を同じくして、この17歳の若き獅子は恋に落ちる。作曲家への道を断念したわけではないが、彼は教員として働きながら結婚することを夢みる。そして結婚のために遂に正式な就職を決意し1816年ライバッハ音楽学校教員に応募する。しかし、結果は落選。結局彼は結婚も就職もあきらめることとなる。天は苦労しながらも作曲に専念する道をシューベルトに用意していたのだ。上記の日記と前後して書かれた文章が救いの光を見せる。

「モーツァルトの音楽を聴いた、明るく光り輝く美しい日は、僕の生涯を通じて残るであろう。僕には今でもモーツァルトの音楽の魔法の響きが、遥か彼方から微かに聴こえてくる。シュレジンガーの見事な演奏は、何と驚くべき力強さと柔らかさを、心の奥深くに刻み込んでくれたことか。この美しい刻印は、時が経とうとも、また状況が変わろうとも消し去られることなく、魂に残り、僕たちの生活に生気をもたらす。人生の暗闇の中にあって、これら美しい刻印は僕たちが確固たる自信に満ちて期待できる、明るく輝いた美しい遠い未来を見せてくれるのだ。おおモーツァルトよ、不滅のモーツァルトよ。より明るくより素晴らしい人生の生き生きとした刻印を、何と多く、何と限りなく多く、僕たちの魂に刻み込んでくれたことか…」(1816年6月14日付日記より)

 この音楽への喜びこそ、彼がその過酷な人生の渦中にありながらも生き延びる力を与えてくれる要因となったことであろう。
 また、同時代に同じ土地に住んでいたベートーヴェンも、シューベルトの頭から離れることは終ぞなかった。この手の届かぬ大巨匠の存在はシューベルトにとって大きな励みであると同時に、「ベートーヴェンの後でなにができるか」との自問自答に悩まされる原因にもなったのである。ソナタ形式は既にベートーヴェンによって完成の域に達していたが故に、ソナタや交響曲の作曲をするにあたり“歌曲王シューベルト”の苦悩は生涯続く。謙虚なシューベルトは自分の歌曲作曲の才能に自惚れることなく、先達の作品を分析して勉強を重ね、試作を繰り返す。多くの未完の作品がその苦しみを伝えているが、その過程において自分の作品にいかなる不当な評価を得ようとも、己の信念を失いはしなかった。そしてわずか31年の生涯に膨大な数の作品を残し、シューベルトならではのソナタ形式を確立していくのである。今夜の3曲を比べてお聴きいただければ、その変遷が、はっきりと浮かび上がってくるであろう。

ヴァイオリンとピアノのためのソナタ イ長調 D574

 このソナタにはあちらこちらにモーツァルトとベートーヴェンの影響が見られるが、それでも既にシューベルト独自の語法がしっかりと現れている。

第1楽章 アレグロ・モデラート イ長調 ソナタ形式

 歌謡風のメロディーを第1主題におくことに成功したソナタ。この耳に心地よいイ長調の旋律は、しかし、どことなく憂いを秘めており、素朴な中にも様々な心理状態を提示する。この主題にホ短調の不穏な躍動感あるエピソードが続くが、これはすぐにト長調へと移って優しさを帯びる。さらにロ長調を経て、ようやくホ長調の第2主題が喜びに満ちて現れる。展開部は短いが、おびただしい転調が美しい。

第2楽章 スケルツォ:プレスト ホ長調―トリオ ハ長調

 穏やかな第1楽章に対比して、第2楽章にはスケルツォがおかれる。この配置は新しい試みである。

第3楽章 アンダンティーノ ハ長調

 第2楽章のトリオに使われた調性、ハ長調による緩徐楽章。混じりけのない清楚なテーマが繰り返される間に散りばめられたエピソードは、我々を様々な世界に誘う。こうした作風は歌曲王ならではのものであろう。

第4楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ イ長調

 第2楽章のモティーフから派生した第1主題と2つの副主題が、希望に満ちた世界を提示する。展開部のモティーフは第2楽章の主題そのものであり、全楽章が緊密性をもつことに成功している。

病いから生還して ― アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D821

「一言で言うならば、僕は自分がこの世で最も不幸で、最も惨めな人間だと思っている。考えてごらん、健康は二度と回復しそうにないし、絶望のあまり、ことを良くするどころか悪くしてしまう人間を。輝かしい希望も無に帰してしまい、愛と友情の幸せが苦痛以上のものとならず、美への感動も消えうせようとしている人間を。こういう人間を惨めで不幸な人間だと思わないか? “私の安らぎは消え去ってしまった、私の心は重い、私は安らぎを二度と、決してもう二度と見つけることはない” と、僕は今、毎日歌うことができるのだ。毎晩、床に就くとき、もう二度と目が覚めないことを願う、そして、毎朝昨日の苦悩を告げられるのだ。こうして僕は毎日を喜びも友達もなく過ごしている…」(1834 年3月31日付の手紙より)

 1823年はシューベルトが絶望の淵に立たされた年であった。劇音楽は失敗に終わり、さらに忌まわしい病い、梅毒に見舞われる。翌1824年、病気がようやく峠を越えると、一見回復に向かったかのように、シューベルトは精力的に作曲活動を続ける。しかし上記の手紙が示すように、苦しい精神状態にあった彼は日記に己の人生哲学を書き記す。

1824年3月25日
 「苦痛は理性を鋭敏にし、心を強くする。それに反して、喜びは理性などほとんど気にかけず、心を虚弱にするか軽薄な人間にするだけである。
 僕は心底、あの一方的なものの見方というものを嫌っている。それは、“自分たちのやっていることが最高でそれ以外のことは取るに足らないことだ” と、多くの惨めな人間に思い込ませようとする、あの一方的な物の見方だ。」
1824年3月27日
 「誰も他人の苦しみを理解することはできないし、誰も他人の喜びを理解することもできない!人はいつも一緒に歩いていると思っているが、いつもただ並んで歩いているだけだ。それに気づくというのは何という苦しみであろうか!
 僕の作品は音楽への理解と僕の苦しみから生まれたものだ。苦しみだけから生まれたものが世界を喜ばせることは稀なことと思われる。」
1824年3月28日
 「最高の感動と全く取るに足らないものとの間に大差なし。それと同じく、最も深い知恵とどうにもならない無知との間にも大差なし。…」

アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D821

 1824年11月に作曲されたこのソナタは、1823年に製作されたギターとチェロの合いの子のような楽器「アルペジョーネ」のために書かれた。この楽器は、見かけはヴィオラ・ダ・ガンバのようであるが、6本の弦を持ち、弓で弾くギターといえるもの。早くに衰退してしまった楽器であるが、シューベルトのおかげで音楽史上に名を残すこととなった。まるで東欧の哀愁を彷彿させる民謡調の音色を持つアルペジョーネは、当時の彼の心理状態を表現するのにふさわしい楽器であったのであろう。
  3つの楽章の調性関係、及びそれぞれの楽章に共通したモティーフが使われていること、また第2楽章から第3楽章へ切れ目なく受け継がれることなどが要因となって、全3楽章を通じて一つの流れを提示する。

第1楽章 アレグロ・モデラート イ短調

 ピアノのソロで始まる第1主題には、時間的にも空間的にも遥か遠くをみつめるまなざしがある。このメランコリックな詩情溢れる第1主題はアルペジョーネに受け継がれ心の内を打ち明け始めるが、提示部と再現部の伴奏形の違いから、それぞれの性格の微妙な差が浮き彫りになる。第2主題はうって変わって軽快な動きになるが、終始弱音に徹する特徴的な16分音符の動きは、優雅さを失わない。ハ長調で終わった提示部から、突然へ長調に転調して展開部が現れると、このメランコリックな主題が何と温かく明るく響くことか。アルペジョーネのピッツィカートがさらに美しさを加味する。展開部の最後におかれた同音連打の動きと転調は、歌曲「さすらい人」に象徴されるシューベルトならではの手法で、緊張感の高まりを抑えきれず、最強音へ達する。痛々しいのはコーダである。この物憂い調べは何に例えればよいのであろう。最後、最強音で絶望的に第1楽章を閉じる。

第2楽章 アダージョ ホ長調

 柔らかな日差しを浴びて微笑む野の花のように可憐な性格で始まる緩徐楽章であるが、決して楽観視できない要素が背後に潜んでいる。「美しき水車小屋の娘」の主人公である若者の心理状態を思わせる無言歌。切れ目無しに第3楽章へ続き、終楽章への序奏的性格をもつ。

第3楽章 アレグレット イ長調

 変則的なロンド形式。第1主題は、第1楽章の第1主題がリズムを変え、同主調のイ長調に移調して使われたもの。第2主題は第1楽章と同じ動きだが、今度はイ短調で音域は増し不穏さを伴う。中間部はホ長調で現れ、異次元の世界に誘う。

ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 D929 ― 壮大なスケールの作品に発展した室内楽

「グラーツでいかに気分よく過ごしていたのか、私はもう気付くに至っています。未だにウィーンという街は、私には理解できかねるのです。勿論、少し大きい街ですが、それと引き換えに、温かい心、誠実さ、真の思考、理性に満ちた言葉、そしてとりわけ、精神性のある行為に欠けているのです。 …」

 1827年9月グラーツへ旅行した後、シューベルトはグラーツのパハラー夫人宛に手紙を認め、ウィーンに馴染みきれない様子を仄めかしている。ここで思い出されるのが、1816年19歳の時の日記にみられる、「人間の誠実さに正反対のものは、都会的な慇懃さである。賢者の最大の不幸と愚者の最大の幸福はこの慣習に起因する。」という文章である。彼にとってのウィーンという街の感触は、結局変わることがなかった。数日後、彼は健康状態の悪化を訴えるようになる。絶え間なく襲ってくる頭痛、めまい、発熱、など、また過去の病いが疼きだしたのだ。

「いつもの頭痛がまた身にこたえ始めた…」(1827年10月12日の手紙より)

そのような状況にあっても、彼は精力的に作曲活動を続ける。そして「冬の旅」の後半12曲を完成させた1827年の秋、ピアノ三重奏曲第1番 (D898)と第2番(D929)が前後して作曲される。この2曲が全く性格を異にしていることは実に興味深く、シューマンは、「変ホ長調(第2番)は行動的、男性的、劇的な緊張に満ちたもので、変ロ長調(第1番)は悩ましげで女性的であり、抒情的である。」という名言を残している。

ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 D929

 同時期に作曲された作品である「冬の旅」を思うとき、その性格と共通するものを第2番の方に多く見出すであろう。「冬の旅」において、愛に破れた若者は孤独で陰鬱な旅の途上にあって、消え去った憧憬と微妙に交差しながら夢と現実の間をさまよう。“憧れ”を知る者だけに与えられた特権ともいえる心の傷。この傷を抱えたまま、魂は第2番のピアノ三重奏曲において壮大な宇宙と同化する。かくしてマクロコスモスと人間一人ひとりの中に存在するミクロコスモスとの融合が実現する。

第1楽章 アレグロ 変ホ長調

 本来第1主題とは、その作品の全体像を象徴するものであるが、ここでは決然と始まる第1主題より、その後現れる短調のエピソードや第2主題の性格が全体像を支配する。にもかかわらずこの楽章が確固たる構築性を持っているのは、僅か2つの基本的なモティーフが多種多様に展開されていくことに起因する。第2主題が第1主題から派生したものであることは明らかで、同じモティーフが二つの異なる性格を孕んでいることを表している。展開部はこの第2主題のみで展開されるが、シューベルトならではの転調の芸術が駆使され、3つの「不思議の国」に我々を誘う。果たして私たちはそれぞれの謎を解くことが出来るのか。まるで永遠の課題のように提示される3つの世界を我々はただ体験するのみであろう。その時、ラフマニノフの言葉を思い出す。

「シューベルトは、私にとってあまりに偉大であり、あまりに神聖であるので、分析用の論理という武器でもって私は彼の音楽用語を解釈したくないのです。」(1928年11月18日『フォス新聞』のアンケート回答より、エルンスト・ヒルマー著 山部良造訳「シューベルト」(音楽之友社)より引用)

第2楽章 アンダンテ・コン・モートハ短調

 第1主題はスウェーデン民謡「太陽は沈み」からとられたメロディーと言われている。一度耳にしたら忘れることのないこのメロディーは、特徴的な足取りの伴奏リズムを得て心の「冬の旅」を提示する。シューベルトは青年の頃から緩徐楽章には並々ならぬ才能を発揮してきたが、この楽章は稀に見る劇的な第2楽章といえよう。精神はその昂揚を抑えきれず、心が掻きむしられんばかりに苦しみを訴える。

第3楽章 スケルツァンド:アレグロ・モデラート 変ホ長調―トリオ 変イ長調

 シューベルトがライプツィッヒの芸術商社プロープストに宛てた手紙の中で、この楽章は“メヌエット”と称されており、「中庸のテンポのメヌエットは完全に弱音(ピアノ)で。それに対してトリオはp、pp、と記された箇所以外は力強く」と記されている。カノンで現れる主題、踊りの要素、ホルンの響きなどが、この楽章を民謡風な愛らしいものに仕立てている。

第4楽章 アレグロ・モデラート 変ホ長調

 8分の6拍子とアラ・ブレーヴェ(2分の2拍子)の部分が交互に現れる稀有なロンド形式。8分の6拍子の第1主題は、オーストリアの長閑な明るさを思わせるが、アラ・ブレーヴェで短調の刻みの副主題は、一転して緊張を生み出す。その緊張はやがて8分の6拍子にも受け継がれ、見事な転調と相まって長閑とは程遠い苦悩の世界に突入する。そして再度第2楽章の「太陽は沈み」からとられた主題がチェロで現れ、この熱いテーマがピアノ三重奏曲第2番の核心の一つであったことが歴然とする。